「ベロニカは死ぬことにした」
どーも。ネクラ美女です。
今日はルノアールで打ち合わせと調べものです。
久々に昼間から外に出たらへばり気味ですw
今日は知り合いの整体師の方に、私は邪気を受けやすそうと言われました
ヒーラーとか合いそうとw
確かにそういうの向いてそうとは思います、占いとか。
よく言われますし、、
勉強してみようかな~
私本が大好きで活字中毒なところがありますが、先日パウロ・コエーリョ著「ベロニカは死ぬことにした」読みました。
すごく良かったです〜!
良い文章沢山ありましたが、いくつか抜粋します。
"人が自分の本質に逆らうのは、人と違ってもいいという勇気でかけてるからで、そうしたらその毒としてよりよく知られる憂鬱を生み出すんだ。”
”冒険の危険には、100日分の安心も安らぎも敵わないから。
狂ったままでいながら、普通の人のように振る舞うのです。人とは違う存在であることの危険を冒しながら、注意をひかずにそうすることを覚えなさい。”
”誰かがあと少しの時間しか生きられないのに、ベッドに腰掛けて眠っている男を眺めて過ごすことにしたのなら、それこそが愛だと思うの。”
ベロニカは自殺未遂をして、その後遺症であと少ししか生きられない状態になり
精神病院に入るのですが、そこで出会った人たちによって彼女が生きる意味を見出していく話です。
どこからが狂っていてどこまでが正常か、境界線てすごく曖昧ですよね。
ただのマイノリティとマジョリティの違いなのか。
狂気を隠して必死に普通を演じるなら、いっその事狂気を演じて精神病院で生きる方が楽なのかもしれない。
ベロニカはもうすぐ死ぬという状況になって初めて本当の自分を出せるようになっていく。
普段絶対にしてはいけないと思っていること。したいけどできないこと。
死ぬとなるとなんでもできてしまえるような気がするし
そこを超えてみて気づくことがあるんだろうな〜〜
自分の中のタブーを犯すことで気づくこと。
なんとなーく、思ったけど
自分が(周りが?)許容できる範囲の自分、やりたい事、でまだ遊んでるんじゃないか?って。
大多数がそうなんだとしても私が生きたいのは本当の本当に自分で在る大好きだけの世界だから!!だからもっと突き詰める。
読んで思ったんだよね。あー自分人と違うとこあるし狂ってる部分あるって。
冗談交じりで周りから言われる事はよくあったけど、自分で初めて納得、認めたみたいなw
そしたらさ、ほんとは違う、合わせてるだけ、楽しいふり、してるって事もっとあるんじゃないかって気づいた。
だって30年もそうやって生きてきたならズレや歪みを壊れない程度に補正・補強して狂ってるとは思われないラインを常に選んできたって事でしょ。
普通であること ばかりを教えられたらそうなるのも当然だよね。
普通ってゆうれいみたいね、、
もっともっと掘り下げて自分らしくいることでそんな人たちと出会っていくんだろうな。
誰を、何を、どんな仕事を失ったとしてもそれは幻でこわくなんかない。
幻に意味をつけすぎなのね。
上手く器用にできる人は一生気付かないのかもしれない。
私は上手くできない。いやある程度上手くできる、だからある程度、そこそこで楽しんでるんだ。
もう、普通ぶって生きるのやめた。